*Croquis de Paris No.571 ~ 彼女にとっては初めて?の ヴェルサイユ宮殿 part2 ~ *
2020年2月28日10:00 AM カテゴリー:Designersdiary
ヨーロパにもだんだんとコロナの波がやってきました。
日本は春休みまでの休校が決まったようですね、
催し物やテーマパークなども。
はやく日常に戻れますように。。。
☆ この日は(時間帯かな?)カーテンが閉められている暗めの部屋が多かったかも。☆
さてさて、
ヴェルサイユ宮殿の続きを♪
こちらは王の寝室。
ヴェルサイユ宮殿の中央に位置します。
ルイ14世が寝室と定め、ルイ15世もこの場所を寝室として利用し
1789年には、ルイ16世とマリーアントワネットがパリに連行される前に
この部屋のバルコニーから群衆の前に姿を現したその場所。
ですが、この日はカーテンが閉じられていてちょっと暗めのお部屋でした。
☆ いやいや豪華〜 ☆
そして、こちらが王妃の寝室。
マリーアントワネットだけでなく、娘のマリー・テレーズや歴代の王妃が
寝室として利用していた部屋。
☆ ふわっふわの羽根に天井の模様。すんごいですね。☆
かっわいい〜ですねぇ*^^*
たぶん生地も新調されたのか、クラシックな中にも新しい感じがしました。
マリーアントワネットが亡くなった状態を忠実に復元されているそうですが、
いやぁ、天井まで本当にゴージャスです。
☆ 有名なマリーアントワネットと子供達の肖像画 ☆
こちらがルイ16世の妻マリーアントワネットと3人の子供たち。
当時貴族の間で評判だった女流画家、ヴィジェ・ルブラン作ですが、
ルイ14世時代に、ヴェルサイユ宮殿の天井画や壁画を手がけた
シャルル・ルブランが彼女の旦那さんの祖祖父にあたるみたいですね。。。
アントワネットと同い年だった事もあって、アントワネットとルブランは友情を育み
1778年の依頼から、マリー・アントワネットの肖像画を30作品以上残しているそうです。
☆ 写真ではお伝えし辛いですが、本当にでっかい作品です。☆
そしてこちらの部屋にあるのは
ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠式
ジャック=ルイ・ダヴィッド作
1804年(ナポレオンが皇帝に即位した年)にナポレオンから依頼されて、
1808年に仕上がったそう。
実は、その時の絵は今はルーヴル美術館にあって、
このヴェルサイユにあるのは、同じ1808年にアメリカの実業家から
複製を描くよう依頼を受けて、記憶を頼りに(←!!!)とりかかり、
ブリュッセルへの亡命中の1822年に完成させた、その時の作品なのだそう。
☆ 元々は、この右に立つナポレオン自身が自分に冠を被せる図だったのが、妻に被せる図に変更されたのだとか ☆
1947年(最近ですね)、この2作目がフランスに戻されて、
今私たちの目の前にある、ヴェルサイユ宮殿に保管される事になった、と。
はぁ(それを普通〜にこうして私たちは見れているのかとため息)
☆ これを描く気力って、すんごいねぇ。☆
こちらも戦いの先頭に立つナポレオンの絵ですね。
ほんとでっかい^^
小学校の6年生くらいかな、
かなり小さな頃から油絵を描いていて、大学でも専攻していた私だけに
・・・気が遠くなる笑
☆ またこのモノトーンが素敵 ☆
途中下の階への踊り場。
の、天井。
これまたすごいよ^^;
ちょっと日本の神社仏閣の天井を思い出させる作り。
でもこれだけ濃いのに気分悪くならない不思議なバランス感覚。
☆ 各戦いを描いた、すんごく広い部屋です ☆
戦闘の回廊
ここは、王子達の部屋で間仕切りされていたのをルイ・フィリップ王が
ルーブルの回廊をイメージして改装させたんだそうです。
ルーブルにいるみた〜い。って思ってたら、
それをイメージした部屋でした^^
☆ フランスの歴史を知らない私にくらべて、学校で習っているので娘にとっては多少身近な様子。良かった ☆
いやでも、こうして書いていて思うんですけど・・・
で、ルイ・フィリップっていつ出てきたの!? どの王の後なの!?
とかもう、歴史が超超苦手だった私には頭ごっちゃごちゃで笑
ようは、先のルイ16世とマリー・アントワネットが処刑された後
政治家のロベスピエールが政治を行うようになるも、
1794年にクーデターによって失脚、処刑されて
1799年、ナポレオン・ボナパルトが独裁権を握り、
1804年にはナポレオンが皇帝に即位したと。(それを描かせたのがあの絵ね、ふむふむ)
☆ ほんとルーブル美術館そっくりです。☆
ざっくりいうと、その後ナポレオンがいっぱい遠征、
戦争をしかけて島に流刑されるも1815年脱出&復位(なんとまぁ)
そしてまたしても戦いに完敗したナポレオンの失脚後、
ルイ18世がフランス国王になったと。
そのルイ18世の弟のシャルル10世(この名前もややこしいんだよね)が即位すると
また王権復古的な政治を推し進めたために民衆の王への反発が高まり
1830年、七月革命が起きシャルル10世が失脚して・・・
自由主義者として有名なオルレアン家のルイ・フィリップが王となったと。
(たどり着いたー♡)
☆ ここから広がる広大な庭は・・・小雨の降り出したのでまた暖かくなったら来ようねって事で。☆
とか言いながら、フィリップ王(フィリップ1世)は
「フランスの王」ではなく「フランス人の王」を名乗ったものの、
銀行家などのブルジョアジーの利益の保護にあたったため
このあとすぐに二月革命が起こって退位に追い込まれイギリスに亡命。
1851年12月、ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)が即位するみたいですね。あらら
とにかく現時点では、だいたいの人の流れは分かったわ笑
・・・結局のところ、
おそらく、これらは娘にとってはヘでもない簡単な歴史であるわけで。
私の勉強になりました^^
私が、忘れないように〜ですね。笑
ではまた来週に
A la semaine prochaine
☆MUNEKO☆