*Croquis de Paris No.756 ~ フォンテーヌブロー城へ ~ *
2023年9月15日10:00 AM カテゴリー:Designersdiary
前回の記事 https://www.lapage.jp/diary/24840/
フォンテーヌブローの森を乗馬でお散歩した後はいよいよお城へ。
☆ フォンテーヌブロー城 ☆
パリに来た頃は、近くにバルビゾンという、
ミレーの落穂拾いの絵でも有名な、画家さん達が集まっていた小さな村があるので
バルビゾンとフォンテーヌブローを合わせてよく観光に来ていました。
☆ 古いグレーの色のイメージを持っていたお城もすごく綺麗になっていました。
入り口付近からお城の様子を、動画で少しだけ ☆
とはいえそれも20年近く前^^
イメージではグレーで古いお城のイメージだったんですけど
・・・全然違いました。
今までで一番豪華で美しいかも*^^*(私も相当いい加減)
☆ 回廊の窓からの眺め。アイコン的な馬蹄型の階段 ☆
その歴史は12世紀、ルイ7世の時代から。
1528年、フランソワ1世が
レオナルド・ダ・ヴィンチなど、イタリアから建築家を呼び寄せて
今のこの建物となる国内最大のルネッサンス様式の宮殿を作りました。
☆ 絵皿の回廊へ ☆
その後も数世紀にわたって歴代の国王が居住し、
それぞれが好みに応じて改築を続け今日の形となったのだそう。
☆ 絵皿の回廊や法王の間など ☆
羽目板にフレスコ画やスタッコ(化粧漆喰)の彫刻、木彫細工は、
イタリアから呼ばれた2人の芸術家、プリマティッチョと
ロッソ・フィオレンティーノが装飾。
☆ プリマティッチョとロッソが才能を競い合って装飾を施された、
フレスコ画やスタッコ(化粧漆喰)、木をふんだんに使用したフランソワ1世の回廊(ギャラリー)☆
息子アンリ2世の時代の宮殿の拡張では、
フランス、フランドルの装飾画家達にも注目され、
王の私室やディアヌの回廊、三位一体礼拝堂のヴォールト天井の装飾がされていて。
こちらも大迫力です。
☆ 三位一体礼拝堂の天井画は息子アンリ2世時代のフランス、フランドルの装飾 ☆
ルネッサンスがフランスに渡ってきた時の舞台となったフォンテーヌブロー城は
1981年にはユネスコが世界遺産に登録。
☆ 舞踏会の間 ☆
イタリアのマニエリスム画家による装飾が施された舞踏会の間も圧巻。
☆ 窓から見える美しい庭園の眺め ☆
マニエリスムってマンネリズムの語源なのだそう。
イタリア語のマニエラ(手法・様式)に由来する言葉らしいのですが、
いわゆるマンネリ、ですね。
こちらも調べていくとかなり面白いです(私の好きな技法かも)
☆ 左上、エタンプ公爵夫人の寝室への階段部分もほんと凄かったです^^; ☆
↑右下はアンリ4世の王妃のために作られたディアンヌの回廊。
王政復古後、ナポレオン3世によって、
1万6千冊もの書物が収められた図書室に改装されています。
☆ マリー ド メディシスからマリー アントワネットに至るまで、歴代の国王の妻たちが過ごした部屋 ☆
こちらは王妃の寝室。
もう豪華すぎて^^;
☆ 玉座の間 ☆
元国王の寝室には、
革命後の1808年、ナポレオン1世が玉座の間を建てました。
☆ どこまでやったら気が済むんだろうってくらいの迫力 ☆
天井の装飾が凄すぎる^^
ここからは地上階に降りて・・・
☆ ため息が出ます ☆
こちらはさっき2階から眺めていた三位一体の礼拝堂。
ふはぁ*^^*
ルイ16世の時代に至る(~1792年)まで続いたお城の増築と改修は
フランス革命によって調度品は全て売り払われ、
革命後、ナポレオン1世が全くの空の状態から家具や調度品を新調。
ルイ・フィリップの時代(1830-48)、宮殿は全面的な復習工事が行われ、
第二帝政時代(ナポレオン3世時代1852-70)に再び活気を取り戻したのだそう。
☆ 見応え十分(部屋も見きれてないかも)お庭の方はまた今度 ☆
12世紀から19世紀まで
800年もの間、増改築を繰り返し生きてきたお城、フォンテーヌブロー。
1500の部屋数と、敷地面積は120ヘクタールあるんですって。
庭園はまた今度ですね。。。
いやぁ凄かったです(写真整理もなかなか大変でした〜)
パリから近いのでまたぶらりと(今度は復習に^^)出かけてみたいと思います。
A la semaine prochaine
☆MUNEKO☆
☆MUNEKO☆