*Croquis de Paris No.811 ~ マティスの赤いアトリエ ~ *
2024年10月4日10:00 AM カテゴリー:Designersdiary
新しい学校生活が始まった娘。
☆ 入学式も終業式も卒業式もないフランス。だけど、初登校する姿は見てみたいな。
そんな親はほぼいないだろうけど一緒に校門のそばまで行って帰ってきました。入学おめでとう。☆
と同時に、私もそれに合わせて
今までよりも早い時間に起きる日々が始まって
元々早めに起きる方だったけれど、
このくらいの時間の方が案外体にも合ってるらしい。
☆ 久しぶりにSさんと。フォンダシオン ルイ・ヴィトンへ ☆
子供達が今まで一緒の学校に通っていた自分たち親の方は
もうちょっとだけ元の学校のボランティアの引き継ぎやら何やらをこなしながら。
久しぶりにSさんにメッセージ。
ねぇ、マティス見に行かない?
☆ マティス:L’Atelier rouge(赤いアトリエ)展 ☆
ブローニュの森にあるフォンダシオン ルイ・ヴィトンの美術館。
マティスの『L’Atelier rouge/赤いアトリエ』展が気になっていて。
私も行きたいと思ってたの。行こう♪
☆ パリの南に隣接するイッシー・レ・ムリノーにあったアトリエ(左下の4番) ☆
元々はロシアのフランス絵画のコレクターからの依頼で制作したものの、
購入に至らなかったマティスの作品『赤いアトリエ』
絵が描かれたアトリエも、
このセルゲイ・シチューキンの支援によるもので。
展示室には、マティスが描いたアトリエの中に存在している
当時アトリエに飾られていた作品そのものも集められていました。
☆ 中央奥に「赤いアトリエ」、その周りには作品に書かれているマティスの作品が。なんて贅沢 ☆
1911年にシチューキンの邸宅用に3枚のパネル制作の依頼を受けたマティスは
最初に『L’Atelier en rose(ピンクのアトリエ)』を完成させて、
☆ 実は元々は赤色だったのではなく、後で赤を乗せていることが近年判明したのだそう。☆
そしてその次に描いたのが『L’Atelier rouge(赤いアトリエ)』
だったものの、シチューキンが購入するには至らず・・・
☆ 元々は「アトリエ」という名前だったものが後に「赤いアトリエ」という題名に ☆
その後作品はロンドン、アメリカで披露されたのち、
1927年になってロンドンで買い手が付き、
当時の社交場であるラ・ガーグイユ・クラブに飾られていて。
☆ アトリエの様子 ☆
1949年にアメリカのMoMAに迎え入れられて
4月5日、
元の題名『アトリエ』を『赤いアトリエ』ととして一般にお披露目されたのだそう。
☆ 『ジャネット(IV)』像と『ル・リュクス』とおばさま^^ ☆
面白いのは同じ年の1949年、マティスの息子ピエールが
ニューヨークの自分の画廊で父の近作展を開催。
☆ 庭に咲く花を描いた『シクラメン』とその前に座るかわいい女の子 ☆
その中の最大の作品が『Grand intérieur rouge(大きな赤い室内)』(1949年)で、
こちらの作品はその後すぐにパリに戻され、
『赤いアトリエ』に関しては1993年のポンピドゥーでの回顧展以来、
実に31年ぶりのパリでの展示なのだそう。
☆『Grand intérieur rouge(大きな赤い室内)』(1949年) ☆
赤いアトリエが描かれたのは1911年でマティス42歳、
大きな赤い室内の方は1949年で、マティス80歳の時のもの。
ブラボー*^^*
自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われたマティスの、
赤いアトリエにのみ視点を向けて味わえたことが楽しかったです。
☆ 久しぶりにSさんとも互いの近況の話で盛り上がって ☆
以前このダイアリーで書いたのは、パリの近代美術館に常設されている
1931年と33年に描かれたマティスの作品。
この空間で過ごす時間も贅沢でした。
たまたまですが、11月3日で没後70年を迎えるのですね。
素敵なお仕事ぶりに憧れます。
あまりの味わいに「ごちそうさま」って言いそうになった展覧会でした*^^*
A la semaine prochaine
☆MUNEKO☆
☆MUNEKO☆